2008年3月10日(日)
モシに着いた次の日(1月20日)、ママルーシーがKODOMOに来てくれて、私がいない間の話を詳しく話してくれました。
小さな揉め事はしょっちゅうあって、その度にママルーシーはアドバイザー的に助けてくれていました。完全ボランティア。感謝、感謝です。
さてジョンソン。彼は今KODOMOで寝泊まりしているので、彼の保護責任は私たちにあります。ですから何かあったときのため、私たちには彼の肉親に彼がここで暮らすことの了解を得る必要があります。
そこでみんながジョンソンに親戚のこと、おばあちゃんのことを聞き出そうとしたのですが、話が噛み合わなかったり、言ってることがコロコロ変わったりで、本当のところが一向に分からない。
それだけ彼には言いたくない理由があったのでしょう。
でもやっぱり私たちは知る必要があります。
話を聞いていると、どうやらRomboという町におばあちゃんがいることは確かなよう…。
そこで、ジョンソンに「おばあちゃんに会わせてくれる?」と話すと、彼は了解してくれました。翌日、私とジョンソンとママルーシーは、ジョンソンがモシの町に出てくる前まで住んでいた、おばあちゃんの住むRomboという町に行くことになりました。
Romboまでは、モシの町からバスで2時間。Romboは県なのですが、道のりの半分が未舗装路で、かなり小さな県でした。バススタンドでチャイを飲んで、さぁ、ばあちゃんちへ!
「Mbali?(遠い?)」
「Si mbali sana.(そんなに遠くないよ)」
ああぁぁぁぁ…。言っちゃった…。
タンザニア人の「Si mbali sana」=「かなり遠い」てことではないか…。
来る前は「Siyo mbali(遠くない)」と言ってたのにぃぃ?。
結局、下り坂を1時間歩く…。(帰りは登りで1時間半ほど…。)
日焼け止めも虚しく、この日から私の首から上は真っ黒に、腕時計焼けはくっきりとしてくるのでした…。
とにもかくにも、ばあちゃんの家までやってきた。
畑から「Mwanangu ! (私の子)」と現れた、かなりお年を召したおばあちゃんが、ジョンソンのおばあちゃんでした。
ジョンソンとおばあちゃんの再会は約2年ぶり。おばあちゃんもかなり驚き、困惑して質問攻めだし、ジョンソンもとても緊張していました。
おばあちゃんはジョンソンの消息を全く知らなかったそうです。
落ち着くためにも、おばあちゃんは隣に住むママペンドというお母さんを連れてきて、5人で話しをはじめました。
私たちは簡単に自己紹介をし、ジョンソンが私たちのところに来るまでの経緯を、知っている限りおばあちゃんに説明しました。
そしてそれ以前の話を、おばあちゃんの口から、そしてジョンソン自身の口から聞くことが出来ました。
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