先月末に、突然Kindimba村のスタッフから連絡がありました。
「Felisianaが亡くなった」と。
あまりにも突然でしたし、にわかに信じられず、詳しい状況も知りたかったので、何度かやり取りをしていたため、報告が遅くなりました。
分かった状況はこうでした。
5月23日の夕方、放牧していたヤギを小屋に戻すために連れて来て、小屋に入れようとしたFelisianaは、何かの拍子で閉じたドアに足を挟まれ、大怪我を負ったそうです。
かなりの出血があったそうで、すぐにMbinga県で一番大きな病院Mbuyulaに運ばれたそうです。といっても痛みに耐えながら、出血を抑えながらの車で30分。しかもFelisianaの家はかなりの山の上なので、交通手段にたどり着くまでも時間が掛かったことでしょう。
おそらく失血死ということでした。入院はしたものの、翌日24日に息を引き取ったそうです。
まだ16歳でした。
一昨年、中学校に無事合格して、今年は中学校2年生になったところでした。
とても真面目で成績もよく、頑張っていました。
どうしてこんなことに。。。
Felisianaは2014年、小学校3年生の時に先生方の推薦で支援が始まりました。
お母さんは健在ですが、父親は亡くなりました。それ以後お母さんは、実家で高齢の父親と、6人の子供たちを養ってきました。
兄弟は6人ですが、Felisianaのお兄さんは、まだ小さい頃に病で亡くなりました。お姉さんは、親戚の家に引き取られました。
Felisiana自身は、5歳の時に火傷を負い、左腕の手首が曲がったままくっついてしまい、使うことが出来ません。そんなFelisianaですが、とても性格が穏やかで、しっかり者で、家事や畑仕事、妹や弟の世話も手伝い、今では母親を支える大きな存在でした。
これまで十分苦労をしてきた彼女が、どうしてこんな目に合わなければならなかったのでしょう。
家庭訪問をした際に、彼女の腕を見た看護師の友達は、「日本だったら綺麗に治せただろうな」と話していました。タンザニアの医療体制では、彼女の腕は使い物にならなくなってしまった。そして今回も、きっと日本だったら、輸血して助かっていたであろう命。タンザニアなのだから仕方ない、それが現実なのだから仕方ないのでしょうが、辛いです。
彼女の夢は看護師になることでした。もっともっと勉強して、就職して、夢を叶えてほしかった。
きっと家族だけでなく、多くの人を支えていける素敵な看護師さんになってくれたでしょうに。
彼女に会ったのは最後にタンザニアに行った2018年、中学校に上がる試験を控えた小学校最終学年の7年生になったばかりの時でした。
あれが最後になるとは、思ってもいませんでした。
Kindimbaスタッフがお金を集め、Felisianaの葬儀は無事終了したそうです。
こちらからも送金させていただきました。
できればそのお金は、彼女が学校に行くための学費であってほしかった。
チェムチェムが関わったのは6年間だけではありますが、彼女の学校に通った日々が、彼女ににとって楽しい素晴らしい時間であったことを願います。
天国で笑ってくれていますように。ご冥福をお祈りします。
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